先日、研修会で視覚障害教育の専門性とは何か、というお話を聞きました。その一つに「視覚に依存しない方法で教えることができる力」という項目がありました。たしかに盲学校では、見えない、見えにくいものを分かりやすく言葉に言い換えて学習を進めることが大切です。形、色、広さなどなど、視覚を使えば、まさに「一目瞭然」なことも、言葉にするには難しいことがたくさんあります。私が初任者で盲学校に赴任したころ、身体の動きを言葉にすることに随分苦労しました。「手をまっすぐ上に上げて」などという言葉は、生徒にとって様々な解釈ができ、結果、バラバラな「手をあげる」になり、申し訳ない気持ちでいっぱいになったものです。ただ、言葉を大切にする教育には落とし穴もあります。長々と難解な言葉を伝えて、「分かりましたね?」ということを続けていると、言葉だけを知っていて、具体的なイメージや実体験を伴わない状態(バーバリズム)に陥ってしまう危険性もはらんでいるのです。
さて、関連して、自分が考えていることや思いを上手に表現することはなかなか難しいことです。考えや思いというものは視覚障害に関わらず、見えない、見えにくいものだからです。かつては「背中で教える」、「あうんの呼吸」という非言語の人と人との間に自然に流れるコミュニケーションが主流だったかと思います。自分自身もそれに美徳を感じていたところもあります。しかし、最近は黙っていては伝わらない、聞いてみなければ分からないことがたくさんあることを肝に銘じています。そこで、「以心伝心」というテーマの教職員向けミニレターを発行しています。もうすぐ50号になります。 以心伝心の意味は「わざわざ口で説明しなくても、自然に相手に通じること」ですが、あえて以心伝心をねらわず、伝えたいことはきちんと言葉にすることを意識しています。ただ、これにも落とし穴があります。ひとりよがりで相手に届かなければ意味をもたないのです。
届ける相手の状況や経験、立場を一生懸命考えて、想像して、言葉を選び、様々な方法を駆使して見えない、見えにくいものを伝えていきたいと思うこの頃です。
東京都立文京盲学校