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昴 令和6年度第7号 令和6年10月31日

「点字、⠟⠴⠐⠳ あれこれ

指導教諭  佐藤 世津子


 点字は1824年にフランスのルイ・ブライユによって作られました。点字ができるまでは普通の文字を浮き上がらせた凸字というものを指でたどって読んでいました。京都府盲にあるものは5cm角くらいの板に周りを彫って文字が浮き出るようになっていました。1文字ずつ形を確認しながら読むので、早くは読めず、自分で書くことができませんでした。点字は初めフランスの軍人バルビエにより、戦場の暗闇でも読める文字として作られました。バルビエの文字を改良したルイ・ブライユの点字は凸字に比べて速く読め、点字器も作られたので自分で書くこともできるようになりました。
 日本の点字は1890年に作られました。ルイ・ブライユの点字をもとに東京盲唖学校(現在の筑波大学附属視覚特別支援学校)の先生と生徒が日本語に合うようにいくつかの案を考えました。その中から1890年11月1日に石川倉次の案に決まりました。11月1日は点字の日になっており、今でも全国盲学生点字競技会が行われています。
 大正14年(1925年)に公布された「普通選挙法」で、満25歳以上のすべての男子に選挙権が認められました。この法律には「投票に関する記載については(略)点字はこれを文字とみなす」とあり、点字による投票が可能になりました。これは世界で初めてのことです。先述の日本の点字ができてからわずか35年後のことでした。点字投票実現に尽力した愛知出身の長崎輝義(弱視)は「点字投票の父」と言われています。
 点字の教科書が出版される前は、墨字の教科書を読んでもらって点訳していました。こうして作った点字の教科書を代々引き継ぎたり、書き写したりして使っていたと言います。大変な労力であり、墨字の教科書が改訂されても、古い点字教科書を使っていたようです。昭和30年(1955年)ごろに当時の盲学校高等部の生徒が立ち上がり(全国盲学校生徒点字教科書問題改善促進協議会)、国に対して要請行動を行い、点字の教科書が配られるようになりました。現在、小中学部の点字教科書は文部省の著作で、盲学校の先生たちが編集作業をしています。高等部のものはいくつかの点字出版所が製作しています。
 先人たちの計り知れない労力により、様々なことが当たり前になりました。しょうがないと諦めるのではなく、声を出し訴えることが実現の原動力になると感じます。
(参考文献:「点字はじめの一歩(1)点字のれきし」黒崎惠津子著、昴68号)
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